怒らないと決めてみたら
飲み会の席で友人Bは友人Aに聞いた。
「君はなぜいつも怒らないのか。」
ああそうか、仲間から一目置かれている友人Aの飄々としたさまは、「いつも怒らない」と表現できるのか、と私は友人Bの観察力に驚きを覚えた。
友人Aはこう答えた。
「怒らないと決めているからだよ。」
なんということだろう!
…と思うのは今の自分だからかもしれない。
当時は「え?…え?何この崇高な感じの展開。まあでもあの友人Aがいうことだからそういう考え方もあるんだろうなあ…自分とは違うかも」程度だったような気がする。
あのセリフに引っ掛かりを覚えつつ、自分なりに「幸せになる方法」を模索してきた。
そしてたどり着いた答えは、「怒らない」だった。
詳しくいうと、「怒りを感じたら、怒りの炎はいったん保留し、まず自分が何に怒っているのか、つまり何を期待していたのか、その期待は立場や状況が変わっても同じ意味をものなのか、を考える」ことだった。
つまり結果的には怒りそのものがなくなるわけではないかもしれないけれど。
これが、やってみると非常に効果的だった。
最初は慣れないかもしれないが、段々と、自分が勝手に世界に対して抱いている期待が何なのか、客観的に見ることができるようになり、心穏やかに過ごせる可能性がぐんと高まる。
自分も他人も世界も、大丈夫だよって受け入れてみたら意外と楽になる。
でも、「怒らないと決める」なんて、とうの昔に友人Aが言ってたしやってたじゃないか。
やっぱりかなわないな。怒らない歴の違いかな。
前回と今回のまとめ
立場が変わっても変わらない、人生で目標になるもの:心穏やかに生きること。(なにもしないという意味ではない。なにもしないと心が落ち着かない人は、なにかすべき。)
その目標に到達する手段:怒らないと決めること。人生を愛すること。